サマーラ期やハラフ期は、どちらかと言えば高原の文化であり、ザグロスの山麓部に沿って発展します。が、サマーラ期末期頃、一部の農耕民がいよいよメソポタミアの平野部に進出。彼らが祖となり花開いて行く文化をウバイド文化と言い、ウバイド文化の時代をウバイド期(ウバイド文化期)と言います。

当BLOGでは古代都市・エリドゥについて"手を変え品を変え"何度も触れましたが、エリドゥ遺跡の十八層にも及ぶ厚い堆積の大部分はウバイド文化期のものとされ、エリドゥ遺跡の発掘調査こそ、ウバイド文化の変遷を物語らせるものとなった。

(参照記事=≫「 エリコからエリドゥへ」、「エリドゥ」、「王と平民の距離。ついでにアッカド語の出自。」他)

ウバイド期は、全体で紀元前5300年頃から紀元前3500年頃まで約1800年という長きに渡り、第一期から第四期まで500年、500年、400年、400年と分けられている。

第一期は紀元前5300年頃から紀元前4800年頃。サマラ文化の土器に似た明るい黄褐色地に茶色の小さい矩形のデザインが配された土器が作られています。祭壇を伴う神殿も造られていて、信仰は、当たり前のこととなっていた。

その頃の集落人口の数は明確には書けませんが、現在の人口増の根拠である石油(=燃える水)の存在と集落の関係はけっして無縁ではなかったと考えます。火を起こせる生活を容易にしたから「食」や「製造」が発展した。それは間違いないと思います。大河チグリスと接して生活用水には困らない。最適の生活圏だったのでしょう。そして古代では、石油に浸かると薬効があると云われ、それが信仰に影響を及ぼしたものと考えられる。つまり、石油を自由に扱える立場にあった者が祭主であったろうと思います(明確に王というわけではないが、王に類するような)。

石油は、タールやアスファルトの原料となりやがて城壁のような建築を可能とし、勿論、敵に火を浴びせる事も可能となった。石油の扱い方をいち早く覚えた彼らは、他の地域よりも圧倒的に早く文明開化する。しかし「文明」として認められるまでにはまだ1800年を要する(紀元前3500年頃の都市文化=ウルク文化の始まりまで1800年掛かったことを意味します)。

石油どうのこうのの話をウバイド第一期で書くのはけっして正しいとは思えませんので軽く飛ばして、集落の話に戻します。

この頃(第一期)の集落は規模的にはまだ小さく、4ヘクタールを超えるものはなかった。そして、人口が増加する度に別の場所に新しい集落を構えた。という事から、(都市に類するような)大規模集落を建設する土木技術はまだ持っていなかったという事になる。だから、都市文化とまでは呼べないのがウバイド期です。人間が、「都市」や「都市生活」を手に入れるまでには、正に膨大な歳月を必要とした。今、都市に暮らす現代人の多くはそういう事へ思いを馳せることは無いでしょうけど、此方はちょっと感動します。よくぞ、都市文化を花開かせてくれました。

今回は手短に閉じます。

 

※(3)へ続けます