チグリス河沿岸に古代都市は無数にありますが、その中でも最も古く都市化された一つとされるのが現在のイラク北部にあって世界有数の石油生産拠点都市モースル(ニーナワー県の県都)。

紀元前8千年よりもっと古い頃から、モースル周辺には人の居住が認められています。燃える水(=石油)の存在が人を近づける要素となったのかどうかは分かりませんが、アッシリア帝国が最も栄えたのは(紀元前850年頃から紀元前650年前後)、モースルの周辺(二ムドニネヴェ)に首都を置いた時代だった。

ドイツのアッシュール発掘調査チームは当然のようにこの町へ入った。だから、石油資源欲しさの発掘と疑われたが、それを疑うも何も、人類初の"生活拠点都市"と云われるニネヴェを含むモースル都市圏の発掘調査せずしてアッシュール調査隊とは呼べませんからね。

モースルは、アッシリアの支配を受ける以前はクルディスタン(クルド人)の重要拠点だった。クルディスタン人に対して戦いを挑みモースルを手に入れたアッシリアですがやがて滅亡。その後のモースルはローマ帝国やペルシャ帝国による支配時代を経てイスラム・ウマイヤ王朝のメソポタミア首都になる。その後も歴代イスラム王朝の重要都市であり続けたモースルですが、13世紀にモンゴル帝国の侵攻を受け殆どの住民が大虐殺に遭い、都市機能全て完全に破壊されたと言われます。

忘れ去られた都市だったモースルの再建に乗り出したのはオスマン帝国。ですが、200年以上を費やして再建途上だったモースルをドイツ調査隊が発掘していた最中の1914年に第一次世界大戦が勃発。オスマン帝国はイギリス軍の侵攻を受け、1918年にモースルはイギリスの手に落ちる。その時、町は再び破壊されていた。戦後交渉によって、モースルはオスマン帝国領と認められるが、それが気に入らなかったのか、イギリスは、イギリス委任統治領メソポタミア(現在のイラク)を成立させ、モースルの領有権は地政学的にメソポタミアにあると強く主張。当時(1926年当時)の国際連盟はイギリスを支持して、以来、モースルはイラク領土となった。という事は、当時の国際連盟の常任理事国だった我が国は、イギリスとつるみイラクの建国に大きく貢献した事にもなりますね。とか言いたいのですが、確かにまだ我が国は国際連盟の中にあってイギリスと共に最も強い発言力を持っていた。が、日英同盟はこの時点では既に解約されている(1923年失効)。我が国とイギリスの関係はギクシャクし始めていたのかもしれない。我が国とイギリスの関係はさて置き、イラクを独立国家としたのはイギリスの力であり、それを支持したアメリカ合衆国の力でもある。ところが、1991年に湾岸戦争が勃発。米英とイラクの関係は完全に冷え込む。そして・・・

2002年には、170万人を優に超えていたモースルの都市人口ですが、イラク戦争が起こった2003年にアメリカ合衆国空軍部隊による大空爆を受ける。またしても町は破壊され、それ以降は、アメリカ合衆国や自国政府に対する不満が爆発しテロ行動が苛烈となる。10年以上内戦状態となったモースルは、2014年6月にISISに占領される。以来3年間、モースルはISISの最大拠点となり、文化財を破壊されるなど嘗ての輝きを完全に失った。そして今年(2017年)業を煮やしたイラク政府は、ISISに対する掃討作戦に本気になり、7月10日、ハイダル・アル=アバーディ首相は、モースルの完全奪還を宣言。今後、復興へ向かって行くことになりますが、破壊の限りを尽くされたモースルの前途が明るいとはけっして言えない。

 

石油は人類の大発展に対して重要な役割を(今も)果たしている。が、その奪い合いによって夥しい量の血を流させた。黒い油が赤々と燃え盛るのは、流れた血の濃さによるものと思えなくもない。天然資源を領する国家と領さない国家が、お互いを尊敬し共存共栄を認め合う時代はいつになれば訪れますことやら・・・

その答えは今後のモースル次第かな?