日本社会は男性上位で女性には不利益なことが多いと、国内外でそのように評されている。一般論として・・・

●女性の政治家が少ない

●女性経営者が少ない

●女性管理職が少ない

●同一職場・職種であっても収入や待遇・昇進等で格差(女性不利)が生じる

●夫婦共働きでも、家事や育児面などでは妻が不利益を被っている世帯が多い

その他、男性優位社会であることの実情が様々挙げられている。確かに頷ける内容ばかりですが、日本以外の国ではそのような事はないのだろうか?と疑問を覚えるのですが、いわゆる先進国では「無い!」とのこと。我が国と似たような先進国家が「無い」筈は無いだろうと思いつつ、調べるのも面倒なので、現代の日本社会は男性上位であり女性が不利益を被るケースが多々ある前提で話を進めていきます。女性を崇敬していることを公言している此方が、女性を蔑視する内容の記事でも書けば切腹ものですが・・・

ところで武士の時代、切腹に至った"状況"は、大方下記三つに分けられた。

追腹(=おいばら)主君の後を追う殉死。

詰腹(=つめばら)職務に対し、一点の曇りも無い事を主張する死、或いは、命と引き換えに正しい事を残った者達へ託す死。

無念腹(=むねんばら)どうしようもない無念の死。

それらと似たケースもあったでしょうけど、階級に関係なく(殿様であろうと下級武士であろうと)侍にのみ与えられた(許された)儀式が「切腹の儀」。

「切腹の儀、申しつける(或いは、申し渡す)」と下された時は、潔く、「慎んで、御受け致そう(或いは、お受け致す)」と答える。そして、辞世の句と共に、腹掻っ捌き、「ご覧あれ」と、腹(心)に含んだ思いを見せ付ける。その思いとは・・・

●恨み辛みは一切ない≪=≫恨み辛みばかり也

●思い残すことは何もない≪=≫無念ばかり也

等々様々でしょうが、それを辞世の句に詠む。その句によって思いを託された者達が次の行動に打って出たりもする。それで有名な話が、浅野匠ノ守の無念を受けたとされる大石内蔵助以下播州浅野家の旧臣達が吉良家へ討ち入った「忠臣蔵」。

話は逸れましたが、「切腹の儀」を申し渡された時、そしてその場へ臨む時、作法は理解していても、余程の強者でない限りは突き刺した瞬間に気が触れる。左から右へ自ら刃で腹を切り開く事などとても痛くて出来やしない。刺した刃を動かす事も出来ずに抜こうとする者、のたうち回る者もいるでしょう。けれども、そんな見っとも無い事をさせぬよう、その動きを傍で察して(頃合いを見計らって)腕の立つ介錯人が首を落とす。(介錯人がつくようになるまでは、痛さにのたうち回って、数時間暴れてから死に至ったらしいです。その姿を見たくないから、介錯人がつくようになったとも云われる)。中には豪傑もいて、作法通りに見事に左から右へと切り開き、贓物(胃や腸)が落ちて尚、その刃をしっかり抜き、喉へ突き刺すか、心臓へ突き刺し、介錯無しに死に果てたなどという逸話も少ない。

兎に角、切腹は相当な覚悟と度胸があって果たせること。成人男子であっても辛い。まして女性が切腹など惨過ぎる。というわけで、切腹の儀が女性に命じられることはまず無い(長い歴史の中では幾つかの例があったかもしれませんが、一般的には無かった)。

女性が自害せざるを得なくなった場合は、腹を掻っ捌くのではなく、大体、喉か心臓を刺すだけの一瞬です。女性や子どもに対しては、死の恐怖と苦痛を出来るだけ短くと願うのはどの世界でも同じでしょう。

 

政治家に向けて「(万死に値する)切腹しろ!」と悪辣な言葉を浴びせる人は少なくないが、女性政治家に対しては、本能的に「切腹」という言葉は避けている筈です。現代の政治では、女性議員や女性閣僚を増やす事を求められる。が、我が国の政治的な伝統は、"失すれば切腹"でした。勿論、現在はそういう事はありませんので、「意気込み」を意味するのみですが。政治家であっても女性に対して(政治責任とって)切腹しろの言葉は辛辣過ぎる。

元来我が国の武家社会には、切腹を強要出来ない女性に対しては、政治責任を負わせる立場に立たせる事などは出来ない、という暗黙の了解事項(慣習)があった。如何に優秀な女性であっても、武家社会では奥に居て頂く。それが女性に対する配慮と礼儀でもあった。

女、子どもを戦場へは向かわせてはならない。女、子どもを矢面に立たせるなどは卑怯千万

如何に敵方であっても、女と子どもの死に様など誰も見たがらない。それを逆手に取るような配置(女性部隊とか子ども隊とか)は行わないのも暗黙のルール。どうしても、婦女子の命を絶たねばならぬ時は一刺しにて一瞬で。それも配慮のうちだった。

女性であろうと幼い子どもであろうと容赦なく、一族郎党皆殺しにされる事もあったのが武家社会。とは言うものの、女に腹を切らせるのは男の恥。自腹を切るのは如何なる場合も男の役割(女に奢らせるを恥とする社会でもある)。何のかんの言ったところでそういうお国柄。女性に対しては政治責任の追及もやり辛い。という感じで、日本の男子は「男性上位」と言われながらも女性に甘いからコロッと騙される。ハニートラップにもかかりやす。

 

武家は男子にその家の「教え」を伝える。女子には伝えないのか?それは、ケース・バイ・ケース。

武家の女子として最低限の心得はさせる。薙刀など武術もその中の一つ。しかし、全てを伝えるわけがない。何故ならば、娘は他家へ嫁いで、他家の子を産み育てなければならない故。実家の教えに拘れば嫁いだ家の教えを蔑にして諍いの元となる。そういう事ばかりではなく、政略結婚であれば、娘の嫁ぎ先はけっして気を許せる味方というわけではない。もしも敵となれば、家の事を知り過ぎている娘を通して、こちらの考え方(=戦い方)を教えるようなものである。他家は他家。いつ何時、敵対する側に立つ相手かもしれない。嫁がせた以上、娘は他家の者。

家の勝ち(価値)こそ求めるのが武家の定め。その定め故に、娘が実家の敵ともなる。娘には、家の全てを渡す(伝える)道理は無い。だから、娘には剣の極意を伝えないし、軍事も説かない。礼儀作法は十分に教える。嫁ぎ先で恥をかかぬように、教えられ方や習う姿勢はしっかり躾けられる。 

我が国の女性は、嫁ぎ先の家風を学ぶ。これは「一度(ひとたび)その門をくぐれば、生きて帰れると思うな」の通りであり、嫁ぎ先から離縁を云われる事は死をも意味した。離縁され、実家に戻るという事は、嫁ぎ先の教えを持ち帰る事にもなる。それが敵同士であれば、普通に戻される事はまず有り得ない。嫁に行くという事には相当な覚悟が要った。武家の女に度胸が備わっていたのは言うまでも無い。だから、豪商や豪農は、武家から嫁が嫁いで来る事を誉れとした。武家の娘は、何よりも重宝された。

 

我が国(の教科書教育)では、武家による封建制度時代は「男尊女卑」の象徴であったとされ、女性が疎んじられていた時代だと教えられる。が、それは大嘘。我が国の伝統的な家族構築制度(子、親、隠居、楽隠居)に対して、この家族制度を崩壊させる事こそが、我が国を二度と強国化させない事への有効策と気付いたGHQによる悪辣な教育捏造です。

我が国では、女性はいつの時代でも最も大切にされていた

どの家でも、「父上様」と「母上様」は同格であり、寧ろ、家の事では母上様、そして御婆様(おばばさま)の上に立てる男子はいなかった

全て、核家族化以降におかしくなった。アマテラスを絶対神と崇め奉るお国柄です。元来は女性上位に決まっている。

GHQによる洗脳教育以降の我が国では、「(我が国の社会では)いつの世も、女性が家の犠牲になってきた」と云われますが、賢い女性達を馬鹿女、糞女として焚き付け、日本社会に性クーデターを起こさせたようなものです。

いつの世も、歴史(社会)を創って来た主役は女性です

社会の大元は家。家の大元(奥)には「奥方様」がいて、それは母上であり、御婆様であるわけです。

女こそが男を操って来た

女性は政治の表舞台には立ちませんが、そんな事は男がやる事であって男が精を出して働いて(国を守って)女性に食わせるのが当然だった。精を出すのは太古の昔から男の方だと決まっています。それを受けて、子を(世に)出すのが女の役目。

男の精は女のものだと昔から相場は決まっています。だから、男子の家名(姓)も、嫁が貰い受けて、奥固く奥に陣取る。嫁=「女の家」。だから、家では女=奥方が一番偉い。

女でも平気で戦場に立たせ、ギロチン台にも上らせる西洋社会と日本社会は違います。

 

現代の日本女性は、自分が精を出して働きたいと言う。食わせなくてもいいと言う。大したものです。昔の女性と違って何と慎ましい事か(皮肉?)。女性が「奥」を取り仕切るからこそ「奥義」は成り立った。奥義は、平穏無事の保ち方を伝授するものでもあります。現代の日本社会は、女性が奥を取り仕切るまでもない、家訓などない世帯が増えた。それが当たり前になった。そのことが様々な社会弊害を生んでいる。

女性が仕事、政治をするのは全然構わない。それはもう当たり前の事なのだから。しかし、それ故に、女性が如何に家庭で大事な存在かを分からない馬鹿男が増えた。だから女性が大事にされていない。そして、大事にされていない女性は男性を大事にしない。ろくでもない社会であるのは過去の日本ではなく現在の日本だと思います。