南西アジア、いわゆる古代オリエント・メソポタミア地域に於いて、"最初の"食料生産民が興ったのは紀元前6500年頃と推察されています。
彼ら(最初の食料生産民)は、レヴァント地方のベイダイェリコムンハタなどに大きな集落を構えます。特に当時としては大規模集落と言われるベイダは、2千平方メートル以上の面積であり、そこに数百人が暮らしたかもしれません。彼らの住居は、初めは半地下式の家屋であったり、地上に柱を立てた円形の家屋であったりでした。家屋と家屋の間に貯蔵穴を掘ったりしていましたが、やがて長方形の半地下式家屋へと建築進化して、漆喰で壁や床を固めるようになったとされます。遺跡跡からは、長さ6メートル、幅1メートル程の細長い石壁の部屋が繋がった建物もあったようだと、調査報告が行われています。それらの部屋は、骨器、角器、ビーズなどを製作する部屋と推定されていて、野生動物や家畜化した動物や石や土などから材料を応用して何かを製作する技術を持ち、その技術は時を重ねるごとに進化していったのでしょう。
当時の食や器具に応用した野生動物は、ガゼル、シカ、ヤギ、オーロックス(野生牛)などであり、家畜動物はヤギだった。人類とヤギの付き合いは相当長い。そして、収穫食物としては、オオムギやエンメル(エンマ-)コムギなどだったが、完全栽培が可能となるのはまだもっと後の時代です。
アナトリア高原のチュユヌにも大きな集落が発掘されています。チュユヌでは、家屋の基礎部分は石を積み重ねていて壁は粘土壁となっていた。だいぶん、家の建築っぽくなっている。家屋の中からは、粘土を捏ねて乾燥させた土器類が発見されています。この土器類には、円錐形や砂時計の形をした製品や、ヤギ、ヒツジ、ブタ、ラクダ、イヌなどを象った装飾品も含まれる。他には、座った姿勢の太った女性土偶(母神・母体をイメージ?)もあった。この地では、ヤギの他にも他種の家畜や犬が飼われていた事になり、また土偶像から「信仰」「風習」らしきものの存在も窺い知れます。収穫食物としては、コムギの種類はエンメル種だけでなくアインコルン種もあり2種類となっていた。他には、エンドウマメ、レンズマメ、カラスエンドウなど豆類が豊富になっている。

以上のような事から勝手に推察すると、レヴァント地方で芽生えた文化(ナトゥフィアン文化)は、西へ進み、文字通りに"進化"した。やがてそれは(現在の)ヨーロッパへと向かい、北欧のマグレモーゼ文化や後々のエーゲ海文明を起こすことになったのでしょう。
どうして食料生産民が登場したのかは、学者ではないので流石に書けません。まァ、人類社会だけに訪れた偶然、運命なのでしょう。

※今回は、殆ど丸ごと中央公論の「世界の歴史」第1巻を参照しました。怒られそう?