歴史の謎に誘われて

史話怪説BLOG

もっと語られるべき史話と騙られ過ぎている史話を怪説するBLOG

3月末まで休止します

有難いことに、仕事に追われてBLOGに費やせる時間が足りずにいます(単なる、グズ病に因るのですが)。
会計処理等々が落ち着く3月末まで、記事更新をお休みさせて頂きます。
(早ければ、3月中旬には復活します)

 

アメリカ大陸の古代文化(1)~最初のアメリカ人の旅~

改良された石器のみならず、火を使うことを知った原人は、「考える人」へと進化して未知なる領域への恐怖心よりも、未知なるものを知ろうとする好奇心が上回る。好奇心が宿った彼らには、優れた環境認識力が身に着いた。そして相互伝達手段としての「言語」が出現する。言語を手に入れた彼らは、それによって情報量が膨大に増え、知識力や応用力が加速度的に伸び、居住環境と食料源の幅を拡大します。最早、アフリカに拘る理由を失った彼らは、ユーラシア大陸へと渡り、オリエントやヨーロッパや東アジアや東南アジアへと旅を始める。

が、「原人」がそのまま進化して現生人類(=新人=ホモ・サピエンス・サピエンス)となったのではなく、ネアンデルタールや旧人類(=旧人=ホモ・サピエンス)を経た後に、最後の氷河期を境にして新人類が登場したとされるのが一般的(多説あり)。

 

しかし、南北アメリカ大陸へも原人や旧人類が到達していた筈だが、考古学者や人類学者はそのようには考えていない。"最初のアメリカ人(アメリカ大陸人)"は、ホモ・サピエンス・サピエンスだと言う。インディアンであろうとエスキモーであろうとイヌイットであろうとアマゾンの原住民であろうと中南米各地の山岳民族であろうと・・・全て新人に属させる。人種差別をしない為の気遣いなのかもしれないが、最初のアメリカ人は、まだベーリング海峡が氷で覆われていた頃、その"氷の道"を渡って行ったのが「モンゴロイド(古モンゴロイド)」とも云われる。(※最近では、モンゴロイドではない別人種とする考え方も少なくない)。

カムチャッカ半島、チュコト半島、スワード半島、アラスカ半島、アリューシャン列島などに囲まれるベーリング海が、その殆どを氷で覆われていた時代は、最後の氷河期だけではなく、地球の歴史上度々繰り返されています。その中には、当然ながら旧人類達の時代も含まれていて、まァ確かに極寒の地を渡っていけるような装備も何もなかったかもしれませんが、旧人類やその前の原人達が南北アメリカ大陸には入植していなかったというのも何だか無理があるような気がします。いつかは、そういう新説が出て来ないかな、と期待しながら話を先へ進めます。

 

シベリアとアラスカが広大なツンドラの"陸地"で繋がっていた頃、古モンゴロイド系の一部の人達は、シベリアとアラスカに一万年以上居着いて、寒冷地に於ける生活適応を完全に成していた。彼らは、極寒の環境下で、分厚い氷の道だったかもしれない"ベーリング"の彼方此方を通ってシベリアと北米大陸を往来する生活文化を継承していた。彼らの生活は、ツンドラの季節の移り変わりに応じて生活圏を移動するマンモスや、大きな野牛、シカ、トナカイ、ヘラジカなどの草食獣を捕食する事で成り立っていた。恐らく毛皮の採取くらいは結構早い段階から行っていたのではないか?

ツンドラの夏草を求めて北米大陸の奥地へと向かう動物を追って、人類社会も北米大陸へと侵食していく。

クローヴィス型ポイントの石槍を投槍器を使って投げて獲物を捕獲する狩猟技術を手に入れていた人類は、人間を知らなかった動物達を追い込んでいく。一定地域の動物が減れば彼らは新たな動物を求めて南下する。南下距離が長くなったある時、氷河期が終わりを告げ始め、氷の道は姿を消し、彼らはシベリアへ戻れなくなっていく。が、考える人となった彼らは好奇心旺盛に、暖かな南へと向かう。彼らはアメリカ大陸の居住者として生きていく。南へ南へ向かい、南米大陸を更に南下した彼らは、紀元前1万2千年を千年前後して(紀元前13,000年~紀元前11,000年)、南アメリカ大陸最南端のマゼラン海峡の地へと辿り着く(そういう年代の地層に、クローヴィス型ポイントが発掘されている)。

更に、クローヴィス型石槍は形を変え、南米大陸での狩猟民は魚尾型ポイントも制作していたという事です。つまり、南北アメリカ大陸の人類も、ユーラシア大陸同様に「文化」を発展させていた。しかも、狩猟し過ぎて、マストドン、パレオラマ、ミロドンなどと名付けられた大型哺乳動物達は、彼らの狩猟ターゲットとなり絶滅してしまう。人類と出会わなければまだ生き延びていたかもしれない動物達は無数にあったのでしょう。

石槍や投槍器の型を改良しなければならなかった理由は、捕食ターゲットの動物が変化していった事にあるのですが、陸上生物のみならず、人類は、川や海の動物を捕食するようになっていく。

※(2)へ続きます

先住権の主張と文化保護の難しさ

現代社会は重要な文化財が多数眠っている場所の上に成り立っている。即ち、私達現代人の生活地盤には、先人達が積み重ねて来た歴史時間が刻み込まれているわけです。しかし現代人社会は、先人達の歩み(=文化遺産)に対する理解と尊敬の念はまだまだ浅い。

当たり前の話ですが、「文化財保護」に拘り過ぎると(当事者の)社会発展や公共インフラ整備に支障を来す。けれども、人類の歩みにとって本当に必要で残すべきと判断された価値に対しては、消されず(壊されず)に残されて欲しいものです。

価値ある歴史の保存が当該国の事情で難しいのであれば、その一国の事情とやらを全世界が協力して保存出来れば良いけれど、それは簡単な事ではない。内政干渉を嫌うのはどの国の民でも同じ。例えば日本列島の価値に対して他国が彼是と指図して来ることがあれば、我が国の民はそれに反発するでしょう。同じように、シリアの地に眠る文化財をシリア国家がどう扱おうとそれを他国がとやかく言うな!とシリア政府やシリア国民はそのように思うでしょうね。

 

肥沃な三日月地帯の西半分にあたるレバントは、人類最初の農耕が始まった場所と云われています。その論拠としては、紀元前11,000年よりも古い頃の集落とされたものの、現在はダム湖の底に沈んでしまったシリアのテル・アブ・フレイラ遺跡から、嘗て最古級の穀物栽培(ライムギ)の跡が発掘されていた事に縁ります。

テル・アブ・フレイラがダム湖の底に沈む事が発表された途端、各国は大慌てで緊急調査団を送り込んだ。そして1972年から1973年にかけての調査を分析した結果、紀元前11,050年頃から紀元前9050年頃のものとされる、上述の栽培痕跡が発掘された(発表は1983年)。けれども、ダム湖の底に沈んだ。それだけの価値ある史跡であったにも関わらず、ダム湖(=タブカダム)となったことは驚きと共に実に残念なことですが、シリアにはシリアの事情があってのこと。世界にとっても重要な史跡であるなら、それを残す為の世界的な(経済その他)支援が必要となる。が、相手がシリアですからね、国際社会は「支援」出来ない判断を下したのでしょう。尤も、支援して残されたとしても、ISISに破壊されていた可能性が高い。

 

テル・アブ・フレイラの遺丘の下からは、旧石器時代(続旧石器時代)の終末期(大筋では、紀元前9500年頃から紀元前8千年頃までの約1500年間とされる)の住居群跡も発掘されています。その規模から、この辺りの地域の人口は、約200人~300人ではなかったかと推定されている(あくまで発掘対象となった一箇所の事であり、全体としてはもっと多い)。この集落を築いた人達は、レバント南部を中心に生活を営んでいたナトゥフィアン文化人(或いは、ナトゥフ文化人)とされる。

いわゆるパレスチナ人(古代の呼称はぺリシテ人)の祖先ではないかと謂われるナトゥフ文化人ですが、ナトゥフ文化人最大の居住地とされるのが、パレスチナの故地エリコ(イェリコ)

死海に注ぐヨルダン川河口から北西約15kmに位置するエリコは、海抜マイナス250mの低地にあり、世界で最も標高の低い町としても知られている。

紀元前8千年代には、周囲を壁で囲った集落が出現していたとされるエリコは、人類世界最古の「町」です。「スルタンの泉」と呼ばれるオアシスがあり、エリコの名前は『旧約聖書』にも繰り返し現れ、「棕櫚(シュロ)の生い茂る町」としても知られていた。故に、エリコこそが「エデンの園」なのかもしれないが、それは何とも分かりません。

因みに、「エデンの園」に関しては次の説が最有力。

世界最古の戦争の記録とされるのはシュメール人の都市国家ラガシュとウンマの戦争です。この戦争は、二つの都市の間の土地であるグ・エディン・ナを争奪し合った事に因りますが、グ・エディン・ナ(シュメール語で「平野の境界」の意)がエデンではないかと云われ、後世により「エデン戦争」と命名された。しかし、この戦争は紀元前2500年頃の話であり、人類発祥(アダムとイブの物語)に纏わるような「エデンの園」の地点とはちょっと違う気がする。林檎の木のイメージもメソポタミアからは沸いて来ないですから、やっぱりエリコじゃないかな?尤も、エデンの園の話自体がユダヤ教の絵空事ですからどうでも良い事ですが。

 

最古の町エリコでも度々史跡発掘調査は行われています。エリコからは、未だ、紀元前9千年以前の集落跡に辿り着くものの確証は得られていないという事なので、エリコは旧石器時代末期のお集大成の町なのでしょう。そして、現在のイラクやその先のイランなど(パレスチナから見て)東方への旅が始まった。

 

イスラエルとパレスチナの先住権争いですが、パレスチナ人がナトゥフ文化人の後裔だとするのなら、その地に於いては、ヘブライ人(ユダヤ人=イスラエル人の多くを占める)よりも遥かに長い生活時間を持っている。しかし、イスラエルと欧米の理屈が勝ってしまって、パレスチナの居住権とその範囲は狭められた。

文化財の保護以上に、先住権に関しては政治力(=経済力や軍事力含む)の強弱が物を言う。北米大陸にも南米大陸にもオーストラリア大陸にも・・・、従来の民族とは明らかに違う人達が押し寄せて新国家を築き、従来の人々は隅っこに追いやられてその文化も大方は破壊された。日本列島はマシな部類に入るでしょうけれども、大和文化のみならず、アイヌ文化もちゃんと保護して、それを未来へ伝承させる事だけは果たさないとならない。(話が変な方向へ行きそうなのでこれで終わります)。

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