歴史の謎に誘われて

史話怪説BLOG

もっと語られるべき史話と騙られ過ぎている史話を怪説するBLOG

ヒトの危険性

今から約4万5千年前、ホモ・サピエンスは、アフロ・ユーラシア大陸(アフリカ大陸とユーラシア大陸を合せた大陸の呼称)から初めて抜け出て「外界」へ到達した人類種となった。此処で言う「外界」とは、オーストラリア大陸のことです。が、それまでの人類が、アフロ・ユーラシア大陸から見て外の世界であるオーストラリアへ渡れなかった理由は、勿論、海という"障壁"があったからです。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』の文章を少し引用します。(引用開始=>)海という障壁は、人類ばかりではなく、アフロ・ユーラシア大陸の他の動植物の多くが、この「外界」に行き着くのを妨げていた。その結果、オーストラリア大陸やマダガスカル島のような遠隔の地の生き物は、厖大な年月にわたって孤立したまま進化を遂げ、アフロ・ユーラシア大陸の遠い親戚たちとは大きく異なる形状や性質を持つようになった。(<=引用終わり)

実際に、オーストラリア大陸に暮らしていた遠い親戚たちは、体重200キログラム、体長2メートルのカンガルー。現在のトラほど大きい有袋類のフクロライオン。あまりに大きくて抱き締めたいともかわいいとも思えないような"コアラ"。ダチョウの2倍もあり飛べないが平原を疾駆する"鳥"たち。ドラゴンのようなトカゲ。長さ5メートルに達するヘビ。2.5トンもある巨大なディプロトドン(草食性有袋動物=ウォンバッド)。等々。ですが、これらの親戚たちは、ホモ・サピエンスがオーストラリア大陸に到達して約数千年後には事実上全て姿を消した。体重が50キログラム以上あるオーストラリア大陸の動物種24種のうち、23種が絶滅した。それよりも小さい種もその多数が消えた。オーストラリア大陸の生態系全般にわたって、食物連鎖が断ち切られ、配列替えが行われた。何百万年もの間、恐らく静かな時の流れ(変化)で守られていたオーストラリア大陸の生態系は、私たちのご先祖様方が其処へ"入植"すると僅か数千年で劇的に変化した。変化というより、あって当たり前だった光景が無くなった。オーストラリア大陸の様子を変えてしまった"犯人"がホモ・サピエンスであったのかどうかの物的証拠はないものの、この事に関して人類が「有罪」であるのはほぼ間違いないこととされる。

然りながら、"頭の堅い"考古学者たちは、人類がオーストラリア大陸へ渡った年代や手段を「証拠がない」から、上に書いた約4万5千年前とも断定出来ないらしい。が、オーストラリア大陸へ人類が到達したとされる約4万5千年前辺りから数千年間の間に、オーストラリア大陸の北方にある多数の小さな島(孤島)に、人類が移住した痕跡があるという事実から物事を遡れば単純に想定出来る。古代インドネシアの海岸線に到達した人類は、大海原へ繰り出せる冒険可能な"木造船"を製作した。その証拠が消えたのは、木製だから。海に消えたか、土に帰したか。「石器時代」のような石器痕跡を求める人には眉を顰めるような話でしょうけど、コンクリートでの建造船は無い時代。筏であろうと舟であろうと木製、石器時代よりも木器時代だったのです。木造船技術が上がった時にオーストラリア大陸へと到達した。それだけのこと。最初の足跡も、それは砂浜でしょうが当たり前ですけど波に消された。

しかし、『サピエンス全史』に書かれていますように、人類によるオーストラリア大陸への初の旅は、歴史上屈指の重要な出来事でした。少なくとも、コロンブスによるアメリカへの航海や、アポロ11号による月面着陸に匹敵する。と、ハラリ氏は述べています。

しかし、人類がオーストラリア大陸に足を踏み入れた瞬間から、オーストラリア大陸の食物連鎖の頂点に人類は立つことになり、動物種の中でも最も危険な種となった。ということであれば、アフロ・ユーラシア大陸でも、南北アメリカ大陸に於いても、それは日本列島の上でも、ヒトは、全ての動植物にとって、最も危険な種であったことに他ならない。そして、そのことに謙虚にならなければ、何れは地球という大自然そのものから大きな仕打ちを受けるかもしれない。

証明出来ないけれど、とても重要だったヒト達

古代狩猟採集民が、異なるグループ同士で戦争を行ったか否か、それは全く分からない。現代にも少なからず存在する粗暴なヒトは古代にもいたでしょうし、現代の粗暴なヒトのように人殺しを行ったかもしれない。そういう集団同士が、現代の暴力団抗争のような状態にあったかもしれないし、そんな事実はなかったかもしれない。如何に多くのグループがあったとは言っても、現在の人口密度とは全く異なった状態であり、生涯に渡って、自分の属するグループ以外の人達とは出会うことがなかった人がいても不思議じゃない。グループ内の抗争でも起きなければ、生涯、暴力とは無縁な人生を送った人もきっといた筈。
しかし、発掘された人骨には、明らかに暴力を受けたような痕跡のものもある。しかし、それが他人からの暴力であったのか、それとも獣達からの攻撃で受けたものか、証明は出来ない。つまり、古代狩猟採集時代が、いわゆる平和であったのか、それとも暴力的で危険な状態だったのか、それは分からないということになる。然りながら・・・
ヒトの社会の多く(政治や学問や思想その他諸々)は戦争によって進化してきた事実もある。狩猟採集民時代を、狩猟採集民の「社会」という言葉を当て嵌められるのならば、戦いは避けられなかったと考えるのも間違いとは言えない。ただ、そういうことの証明のしようが今のところは無いという。

人類は、時の歩みと共に他人に優しくなった。大昔の人類は、残忍で粗暴だった。という主張を繰り返す学者もいれば、農業革命によって「土地」に対する領有(占有)を求めるようになるまでの人類は協力し合える人たちだったと言う学者もいる。が、結局は、どの時代のヒトにも、粗暴な人もいれば優しい人もいる、というのが正しいのでしょう。但し、現代は人口が増え過ぎて、狭い土地(縄張り)を巡る争いが起き易くなった。見える土地どころか、見えない仮想世界にさえ自分の意見の縄張りを持とうとする人もいるから、これからも、ますますヒト同士の争いは激化していく。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏著の『サピエンス全史』には、(以下、引用=>)"今はまだ入手不可能な研究の道具が発見されないかぎり、古代の狩猟採集民が何を信じ、どのような政治を劇を経験したかは、永遠に知りようがないだろう。それでもなお、答えが得られないような問いを発することは不可欠だ。そうしなければ、(学者たちは)「当時の人々は重要なことは何もしなかった」などという言い訳をして、人類史7万年のうちの六万年を切り捨てる誘惑に駆られかねない。"(<=以上、引用)と書かれています。
ハラリ氏に言わせれば、古代狩猟採集民は、重要なことを何もしなかったどころか、重要なことを数多く行ったと書いています。彼ら古代狩猟採集民たちこそが、私たち現代人類にも関わる周りの世界を一変させたが、それがどれほど大きな変化だったのかについては、現代人の多くは気付いていない(気にもしない)とも書いています。
最初の農村が出来上がるよりもはるか以前に、狩猟採集民は地球の生態環境を完全に作り変えた。地球上の他の動物達に対して、私たちホモ・サピエンスの祖先は、史上最も危険な種であったらしい。


アニミズム(3)

わずかな数の墳墓の遺物や洞窟壁画、骨製の小彫像から誇大な説を打ち立てるよりも、古代の狩猟採集民については曖昧極まりない認識しか持っていないことを正直に認めたほうがいいだろう。彼らはアニミズムの信奉者だったとは思うが、そこからわかることはあまりない。彼らがどの霊に祈っていたのかや、どのような祝祭を催していたのかはわからない。そしてこれが肝心だが、彼らがどのような物語を語っていたかを私たちは知らない。これは人類史の理解に空いた最大級の穴と言えるだろう。
(以上、ユヴァル・ノア・ハラリ氏著『サピエンス全史』より引用)

当たり前のことですが、数千年前とか、まして数万年前の様子を現代人が知る筈もない。それを少しでも知りたくて世界中で「発掘」などの調査が行われている。知った気になるのは間違いだが、何も語ってはならないということもない。誰も語らないならば、誰も何も思わないならば、歴史学など必要ない。が、ハラリ氏に言わせれば、狩猟採集時代を然も正しいように描かれることはあってはならいということでしょう。現代人が推定する数千年前、数万年前の地球・人類社会の様相は、そういう可能性があるということだけであって、必ずしも正しくはない。
狩猟採集民の社会政治的世界を現代人である此方はほとんど何も知ることが出来ない。何も知らない此方のBLOG文章など読むだけ時間の無駄。ですが、そんなことを言い出したら何一つ書けなくなるので今日も"天才"ハラリ氏の著書を頼りつつパソコンに向かっています。

ヨーロッパに於ける化石現生人類の出土遺跡としては、ベルギーのアンジ、フランスのラ・マドレーヌ、クロマニヨン、イギリスのギャリー・ヒルなどが知られ、更にロシアのコスチョンやスンギルなどが有名。特にマンモス猟文化に属するとされるスンギル(3万年以上前の居住遺跡)で発見された埋葬者は、注目に値します。
(以下、『サピエンス全史』から引用=>)1995年、ロシアの考古学者がスンギルで、マンモス猟文化に属する3万年前の遺跡を発見した。墓の一つには、マンモスの牙でできた合計三千ほどの珠を糸に通したもので覆われた、50歳ぐらいの男性の骨格が納まっていた。亡くなった男性の頭には、キツネの歯で飾った帽子が被せられていたようだ。男性の両の手首には、やはりマンモスの牙で作られた腕輪が二五個はめられていた。同じ遺跡の他の墓に納められていた品の数ははるかに少なかった。スンギルのマンモス猟師たちは、階層的な社会で暮らし、例の男性は、一集団の、あるいは複数の集団から成る部族全体のリーダーだったのかもしれないと、学者たちは推定した。単一の集団の数十人の成員が、自分たちだけでそれほど多くの埋葬品を作れたとは思いにくい。
その後、考古学者たちは、なおさら興味深い墓を見つけた。中には二体の骨格が頭と頭を寄せ合うようにして納まっていた。一方は十二、三歳ぐらいの少年、もう一方は九歳か十歳ぐらいの少女の骨格だった。少年は、マンモスの牙で作られた五千個の珠で覆われていた。そしてキツネの歯で飾られた帽子を被り、キツネの歯25〇本のついたベルトを締めていたらしい(これだけの歯を手に入れるには、少なくともキツネ60頭から抜歯する必要があったはずだ)。少女のほうは、5250個の珠で飾られていた。二人とも、小さな彫像や牙製のさまざまな品に取り巻かれていた。腕の立つ職人でも、牙製の珠を一つ仕上げるのにおそらく45分ほどはかかっただろう。つまり、他の品は脇に置くとしても、二人の子供を覆っていた1万以上の牙製の珠をこしらえるのに、細心の注意を要する仕事を7500時間以上行わなければならなかったわけで、これは熟練職人による三年を超える労働に匹敵する!(<=以上まで引用)

また、長々と引用しましたが、それ以降の文章にも書かれているように、この子供たちがどのような身分の子か、生贄として捧げられたのか、そういうことは分からないが、真相がどうあれ、スンギルの子供たちは、サピエンスが3万年前に、DNAの命令や、他の人類種と動物種の行動パターンをはるかに超える、社会政治的基準を考案しえたことを示す、有力な証拠の一つと見なされる。
エジプトのファラオ、少年王ツタンカーメンが有名だが、スンギルの3万年前の名もなき少年と少女は、ツタンカーメンに匹敵する、いやそれ以上の発見とも思えます。リーダー格と思しき五十歳ぐらいの男性の埋葬品から推定されるように、既に明確に身分社会であったことが伺われ、これまでの現代人が考えていたような原始的生活ではなかったのかもしれません。(洞穴生活とか、貧しくみすぼらしい姿とか・・・)。未来へ進むほど歴史は近づく。これからももっともっと狩猟採集時代の究明は進むでしょう。それでも、真実の解明という点に於いては極めて厳しい。タイムマシンが必要です。尤も、ほんの数年前、一年ほど前の記憶さえ無いと言い張ることが罷り通る政治社会に暮らす日本では、そんな大昔のことなどに本当に興味を持つ人は少ないかもしれませんけど・・・

アニミズム(2)

アニミズムは一つの具体的な宗教ではない。何千という、非常に異なる宗教やカルト、信仰の総称だ。と『サピエンス全史』にも書かれていますが、人間社会では、些細な意見(考え方)の食い違いが殺し合いにまで発展することが多々あります。他者の意見を認めない、我慢が利かないというのも、古代の狩猟採集民時代から、意見の食い違いで殺し合っていた血を受け継いでいるからに相違ありません。

ところでユヴァル・ノア・ハラリ氏は、『サピエンス全史』の中で、現代人が、古代狩猟採集民のアニミズムを然も分かった風に思うのは間違いだと警告しています。
(以下、引用=>)古代の狩猟採集民がおそらくアニミズムの信奉者だったと言うのは、近代以前の農耕民が主に有神論者だったと言うのに等しい。有神論とは、万物の秩序は人間と、神と呼ばれる天上の小さな一集団との、上下関係に基づいているという見方だ。近代以前の農耕民は有神論を信じる傾向にあったというのはたしかに正しいが、そこからは具体的なことはろくにわからない。十八世紀ポーランドのユダヤ教のラビ、十二世紀イランのイスラム教神秘主義者、十世紀のヴァイキングの戦士、二世紀ローマの軍団兵、一世紀支那(実際の書では、中国と書いてあります)の官僚がすべて含まれる。彼らのそれぞれが、他者の信仰や慣行は異様で異端と見なした。「アニミズム信奉」の狩猟採集民集団どうしにおける、信仰や慣行の違いも、おそらくそれに劣らず大きかっただろう。彼らの宗教的体験は激動し、論争や改革、革命で満ちていたかもしれない。
だが、私たちが導き出せるのは、このような慎重な一般論がせいぜいだ。太古の霊性の具体的な点を記述しようとする試みはすべて、不確実極まりない。頼りになる証拠はほぼ皆無で、かろうじて手元にある証拠(一握りの人工遺物と洞窟壁画)は無数の解釈が可能だからだ。狩猟採集民がどう感じていたかを知っていると主張する学者の説からは、石器時代の宗教よりも、学者自身の偏見がはっきりと浮かび上がってくる。(以上、引用終わり)。

長々と引用してしまって申し訳ありません。けれども、此方が以上のような文章を書ける筈もなく、しかし、「アニミズム」の古代と現代にとってとても重要な部分でしたので長文引用させて頂きました。
現代の人間の考え方や行動は、古代の人間の考え方や行動と本当は大して変わらない。だからと言って、古代狩猟採集民社会を分かったように思うのは間違い。という事は、上述の、ハラリ氏の言葉で理解して頂けます。人間は、言葉を手に入れた時から「今の若いもんは・・・」とか、「最近の年寄りは・・・」とか、悪口を言い合っていた。その反面、親族を敬い、仲間を信じ、嘘を吐くのはよくないことだとも言って来た。物を大切にせよとか、木々に感じろ、空気に感じろ、水に感じろ、星に感じろ、太陽に感じろ、土に感じろ、過去に感じろ、未来に感じろ、・・・等々と言って来た。言っていることはどのグループでも同じだが、信じるものが色々と違った。言葉が違った。食い物が違った。肌の色が違った。毛の色が違った。瞳の色が違った。・・・。同じ人間のようだが、何か自分たちとは違う不気味なものを感じ取って壁を作り合った。しかし、壁を好まないグループもいて、壁を取り除くように言う。壁を取り除いても何も起きないことを信じるか、壁を取り除いたら危険だと思うか、兎も角、諍いの原因は「違い」。
容姿や言葉の違い、考え方や行動の違い、そういう「違い」は嫌悪感を招く。距離が遠ければ良いが、目に留まる位置、耳に聞こえる位置で「違い」を感じるとイチイチ癪に障る。元来、宗教や信仰は、そのような怒りを鎮める為のものでもあったろうけど、その、宗教や信仰=信じるものの違いこそが争いの種になる。けれども、古代の宗教や信仰が果たして何を教えていたか、何を求めていたか、何の為に祈っていたか、等々はほとんど何も分からない。それが分かれば、現代の信仰や宗教が改めなければならないことも分かって来るのかもしれませんけど、現代の科学では、まだ本当の古代解明には至っていない。でも、いずれにせよ、古代アニミズムの全てを解明出来る筈もない。何故なら、彼らは、その心で思っていたことと共に、数万年、数千年前にこの世を去ってしまっているのだから。

アニミズム(1)

人類が口にした最古の木の実とも云われるクルミからは、タンパク質、食物繊維、ビタミンA、B、C、E、K、葉酸、カルシウム、鉄分、マグネシウム、リン、カリウム、亜鉛などの質の良い栄養分が摂取出来ることが分かっています。近年、(女性を中心に)クルミを食して健康やダイエットに活かそうとしている人たちが増えていることもよく知られています。そのように現代人にも好まれているクルミです。
が、狩猟採集時代のヒトたちにとってのクルミとは果たして何だったのか?ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、『サピエンス全史』で以下のように書いています。
(引用開始=>)彼らはクルミをご馳走と考えていたのか、それとも、平凡な基本食品と思っていたのか?クルミの木には精霊が宿っていると信じていたのか?クルミの葉はきれいだと思ったのか?狩猟採集民の男の子が、同じ狩猟採集民の女の子をロマンティックな場所に連れていきたいときには、クルミの木陰で間に合ったのか?思考や信仰や感情の世界は、当然ながら、解明するのははるかに難しい。(<=引用終わり)

クルミの話から始めましたが、古代採集時代の栄養摂取の話ではなく、今回は、アニミズム(「魂」や「霊」を表す「アニマ」というラテン語に由来する)、つまり、様々な霊的存在への信仰に関する話です。
多くの学者は、古代の狩猟採集民の間では一般にアニミズムが信じられていたと考えている。と、『サピエンス全史』には紹介されています。ということは、信仰の世界は、古代狩猟採集社会に既に誕生していたことを多くの学者は認めていることになります。日本には、森羅万象全てに神が宿ることが信じられていて、いわゆる八百万の神と云われてきたものですが、それは、古代の狩猟採集社会からの伝承ということになります。そして、日本列島のみならず、世界中に、そういうことを信じていた人々がいたわけですが、例えば一神教が席巻した社会では日本のような八百万の神信仰は続かなかった。日本人は、大海に阻まれたこの列島に閉じ込められたことで、クルミを採集していたご先祖様の血を忠実に受け継いだのでしょう。
ほぼあらゆる場所や動植物、自然現象には意識と感情があり、人間と直接思いを通わせられるという信念がアニミズムだとユダヤ人のユヴァル・ノア・ハラリ氏が書いていますが、正に、日本で云われる八百万の神そのものです。世界の人びとが、何処かしら日本に惹かれるのは、古代採集時代のDNAを誰もが受け継いでいるからでしょう。だから、例えば支那やイスラム社会やキリスト教社会などでは失われたものが日本にあって懐かしい思いも生まれるのではないですかね。取り敢えず、神社とか山岳信仰(山伏さん)のようなものがずっと続いていれば、その間は、日本に興味を持つ人は絶えないような気もします。気のせいやろか?

(以下、『サピエンス全史』より引用=>)アニミズムの信奉者は人間と他の存在の間に壁はないと信じている。みな、話し言葉や歌、踊り、様式を通して直接思いを通わせられる。(中略)。人間と他の存在との間には、障壁がないばかりではなく、厳密なヒエラルキーもない。人間以外の存在物は、人間の必要を満たすためだけにあるわけではない。意のままにこの世界を動かす全能の神でもない。世界は人間や、その他の存在の特定集団を中心に回っているわけではないのだ。(<=以上、引用終わり)
アニメーション映画には特に多いのですが、人間以外の例えば木々、岩、水、空気等々と友達や敵になるような話が作られたりして、そしてそういう話に引き込まれるヒトは少なくないのですが、結局そういう事象も古代狩猟採集時代の何かしらを受け継いでいるからこそ描いたり感じたりするのだと思います。岩に話しかけると、岩が答えてくれているように感じる。日本では、家を建てる時に地鎮祭などを行いますが、その領域に神が宿っていることを感じるからこそ怒りに触れないように鎮める。獲物を仕留めた猟師が、その仕留めた獲物に寄り添うように語り掛けるのも、言葉は分からずとも何かしら相通ずるから。ヒトとは、元来、そのようにして生きて来たからこそ、現代のヒトも全てに感謝する。そのことを忠実に守っているのが、世界有数のコンピュータ社会の中に生きている日本人であるのも何だか不思議です。アマゾンや、オーストラリアや、サハラ砂漠の狩猟採集民と同じような"思い"を、コンクリートの中に暮らす日本人も感じている。つまり、ホモ・ネアンデルターレンシスやホモ・デニソワやその他の人類とホモ・サピエンスが交わり新人類となった頃からのヒトとして忘れてはならないことは、コンクリートの中に暮らそうが、自然の中に暮らそうが、受け継いでいくことは可能という事か?

プロフィール

H.Hirakawa

記事検索
最新コメント
  • ライブドアブログ